尾崎豊の「盗んだバイクで走り出す」が今さら物議 「歌詞を文字通りにしか読めない人間多過ぎ」という指摘も
尾崎豊が活躍していたのは1980年代から90年代初めにかけてになる。10代の葛藤や反抗心を描いた曲がヒットし、特に若者の支持を集めたことで知られる。実は筆者も10代後半にハマっていた時期があった。
抜粋された曲は、『15の夜』(1983年)と『卒業』(1985年)。確かにあれだけ見たら窃盗ダメでしょ、器物破損は犯罪よ、となるのはある意味当然ではある。
しかし当時を知る者として言わせてもらうと、尾崎はそれほどメジャーではなかった。もちろんファンは沢山いたけれど、そもそもテレビに出ないという売り方をされていたので、一部の若者が楽しむ和製ロックカルチャーの中にいたひとりだった。実際筆者も中学生の時は洋楽派だったので、この2曲のリリース当時のことは全く知らない。
はてなブックマークは500以上つき物議を醸していたが、
「尾崎、そんなに流行ったかなぁ」
「割と世代だが尾崎ファンを冷ややかな目で見てた者も沢山いることを忘れないで欲しい」
といった声も多い。不良御用達というより、「一部の気弱で自分の持ってる不安や不満、不信感をうまく発散できない子に響いただけ」という意見もある。「熱狂していた若者たち」と一括りにされては、違和感がある人も多いだろう。
若者の生き辛さを歌にする過程でそういう表現になった
一方で、当時ファンだったと見られる人たちから反論コメントも多数入っている。
「(好きだった理由は)別に盗んだバイクで走り回っていたからでも窓ガラスを壊して歩いていたからでもないよ。そういう行為に走りたくなる、その時代の若者の中にある何かを描いた歌ってだけ」
青スジ立てて怒る人はおらず、皆淡々としていた。「当時は管理教育がひどくて、反抗も強かったからなあ」と振り返る人も。楽曲自体は、単純にいい音楽なのだが、生き方にもがく人の姿を描いた歌詞が巧みなため、カリスマ的なキャラ付けが強くなってしまっていた。
影響の因果関係は不明なものの80年代は校舎の窓ガラスが割られる事件もあったが、ブクマコメントに
「詩を文字通りにしか読めない人間の多寡の問題もあるような」
とあったように、作品中に描いたことを作者が推奨していると思ってしまう、あるいは口実として利用する人は残念ながらいるものだ。しかし、彼の死後30年近く経ってもこうして話題にのぼるのだから、存在感の大きさは本当にたいしたものだ。