石原慎太郎都知事に「バカ!!」と怒鳴られた思い出 | キャリコネニュース
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石原慎太郎都知事に「バカ!!」と怒鳴られた思い出

石原氏画像

都知事時代、定例記者会見での石原氏 (2012年、筆者撮影)

石原慎太郎さんが89歳で亡くなった。芥川賞作家、都知事、運輸大臣など多くの肩書きがあった。「石原裕次郎の兄」というフレーズも忘れられることはないだろう。

個人的には、石原さんといえば東京都知事時代の印象が強い。特に、石原都知事から直接「バカ!」と怒鳴られたときのことは、いまでもよく覚えている。(文:昼間たかし)

小説『太陽の季節』でデビューしたのに

石原さんは、一橋大学在学中に小説『太陽の季節』で芥川賞を受賞した。その後1968年、国会議員となり、運輸大臣などを歴任した後、1999年から4期にわたって東京都知事を務めた。

筆者が思い出すのは、彼が都知事時代の2010年のことだ。当時都議会では東京都青少年健全育成条例の改定案が紛糾していた。石原都知事の推進する改定案では、マンガやゲームが規制されてしまうという懸念が高まり、出版社やマンガ家などによる反対運動が盛り上がり注目を集めていたのだ。

そんな最中、議会後の囲み取材。「コンビニでは子どもに見せられない不健全な本が……」と喋る石原都知事に、筆者は「どこのコンビニの話ですか?」と質問した。

石原都知事は不機嫌な顔になり、イラッとした声で「コンビニはどこでもだよ!」と言い捨てて歩き出した。

このとき筆者が抱いていたのは、自堕落な若者の無軌道な生活を描いた『太陽の季節』でデビューした作家が、エロ本をまとめてバッサリ「不健全」と切り捨ててしまうのはなぜなのか、という疑問だった。

そこで筆者は都知事に、こう問いかけた。

「あなたの小説とエロ本とどう違うのか?」

すると、彼はくるっと振り替えて、こう怒鳴ったのだ。

「比べられるか、バカ!!」

突然の怒声に凍り付いている人もいた。

このやり取りは、自分で週刊誌向けに書こうと思っていたら、それより先に『産経新聞』に取り上げられた。

彼の一言で、空気がガラリと一変

考えてみると、「バカ」という一言で面倒くさい質問を交わし、新聞記者に小ネタを提供し、周囲を「石原さんらしい」で納得させてしまえるのだから、こりゃスゴイ。結局、筆者もまんまとしてやられたわけだ。

都庁記者クラブで開催される定例記者会見でも、石原都知事は自分のペースに引き込むのが得意だった。レジュメもフリップもなし、たいてい手ぶらで現れる。「今日はなにも話すことはありませんので、質問をどうぞ」と、口火を切ったりもする。

ちょっとややこしそうな質問をする記者が手をあげたときなんかにも、

「出たな!新宿新聞」

などと言って、笑いをとろうとしたりする。

そんな風に、とにかく石原都知事は「空気を作る」のが抜群にうまかった。その後の都知事もそれぞれ個性的人物ではあるのだが、石原都知事のように、一言で現場の空気をガラッと変えられる人はいなかったように思う。

ただ、数々の「問題発言」を踏まえると、計算された発言というよりは「インパクトのあるフレーズを自然に思いついてしまう」タイプだったのかもしれない。東日本大震災時の津波「津波をうまく利用して(日本人の)我欲を一回洗い落とす必要がある。これはやっぱり天罰だと思う」という発言など、撤回・謝罪に追い込まれることも多く、良くも悪くも自我のままに生きている人だったように思う。

そんな人物の本質を、的確に言い表した一文といえば、なんといってもノンフィクション作家・沢木耕太郎の『シジフォスの四十日』だろう(『馬車は走る』文藝春秋 1986年に所収)。これは当時42歳の石原が初めて都知事選に出馬し、三選を目指す美濃部亮吉に挑んだ時の密着ルポである。

沢木は、個人演説会場に到着した石原が、ふと足を止め、窓ガラスにうつった自分を見てネクタイに手を当てて首を動かしたときのことを「ほんの一瞬だが鮮烈なほどナルシスティックなシーンに映った」と振り返る。

そして、沢木はこう続ける。

その時、思ったものだ。彼は間違ったのではないか。政治の世界など本当は不向きの男だったのではないか。彼は小説家であり、小説家でしかなく、小説家こそ天職だったのではあるまいか……。

これはあくまで、都知事選敗北を象徴するシーンの一描写にすぎないが、このとき沢木が描いた石原のイメージはついに、亡くなる瞬間まで変わらなかったように思える。改革派、右翼、差別主義者……など、さまざまに呼ばれた石原慎太郎だが、彼にふさわしい肩書は、やはり「小説家」をおいて他にないだろう。

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