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「恵方巻きを神社でお清め」の衝撃 え?「海苔業者の陰謀」じゃなかったの?

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毎年2月14日のバレンタインデーを「チョコレート業者の陰謀」などと嫌悪する人は古来から絶えないが、もともと船場(大阪)の風習にすぎなかった恵方巻きも同じく「業者の陰謀」が大成功したものだと言える。ところが、一周回って最近は、恵方巻きをガチの神聖な行事として扱うケースが出てきているようだ。(文:昼間たかし)

「海苔問屋」の仕掛けたイベントがきっかけ

恵方巻きは、もともとは大阪・船場の商人が商売繁盛と無病息災を願って始めた風習とされる。これまでの研究では1932年に大阪のすし組合が作ったチラシに「丸かぶりずし」という記載があり、1940年のチラシには食べるルールも記されていたそうだが、あくまで大阪の、それも船場という限られたローカルなエリアでの知る人ぞ知るものだった。

それが知られるようになったのは1977年のこと。海苔業者の団体「大阪海苔問屋協同組合」(大阪市北区)が、豊作で在庫が過剰になっていた海苔の需要を拡大するために、恵方巻きを用いて、大阪・道頓堀で早食い競争などの催しを行ったことがきっかけとされている。

『東京新聞』2006年2月2日付朝刊では、このアイデアを考えたのは、当時、海苔店を経営していた「元祖たこ昌」の山路昌彦社長だとしている。ここで、山路は

「物価高なのに養殖海苔が豊作で困っていた。需要を拡大しようと、友人の『くいだおれ人形』の社長と考えた。おやじの代の芸者遊びでこんなん聞いたことがあるわと。神がかり的でなんか縁起がええ、という話でね」

しかし、記事によれば、恵方巻きの知名度は大阪では上がったものの、東京ではまったく受けなかったという。しかし、メディアが「大阪ではこういう風習がある」と紹介されるにつれ、次第に全国に広まっていった。セブンイレブンが恵方巻きの全国販売を始めたのは1998年だが、2000年代を超えると新聞記事で全国で定着していると記されるようになっている。

定着と共に始まった奇習

恵方巻きも広まったが、業者が商品を売るために古くからの風習を「リサイクル」した……というエピソードも一緒に広まった。そのため、みんな内心ではネタだと知りつつも、イベントとして楽しいからとか、夕食を考えなくていいからとか、様々な理由で楽しんでいるのだろう……と筆者なんかは思っていた。

ところが!

なんとこの恵方巻について、大真面目に「神聖な行事」と見ているかのようなケースもあるらしい。

北海道北見市では、1994年から北海道鮨商環境衛生同業組合北見支部が「本州の節分の風物詩」を取り入れ「屯田恵方巻」として販売。この際に市内の北見稲荷神社で、神事も行われるようになった。この独特の神事は、祈願祭に参加する寿司店のつくった恵方巻きと、それにつける「お宝銭」の五円硬貨四千枚を神前に並べ祈祷するというものだという(『北海道新聞』1995年1月27日付夕刊)。

また、1999年になると、札幌市の北海道大神宮で北海道海苔問屋協同組合などがつくる「のりで健康推進委員会」が恵方巻きを振る舞ったという記事も見つかる(『北海道新聞』1999年2月4日付)。

北海道には違うイメージで伝わったのかもしれない?……と思ったら、最近では他の地域でも「神事」的な要素を取り入れるケースが出てきているようだ。

たとえば、イオンリテール東海カンパニーでは今年1月20日、名古屋市にある亀岳林万松寺で、愛知・岐阜・静岡県内の店舗で販売の恵方巻きに使用する焼き海苔の、護摩焚き祈祷を行ったそうだ。ちなみに、交通の便の都合か三重県内と和歌山県の新宮市の店舗で用いる焼き海苔は、三重県の猪名部神社で祈祷したそうである(『日本食糧新聞』2022年1月31日付)。

いや、神事そのものは大真面目なものなのだろうが、海苔の在庫を減らすための早食い競争をきっかけに広まった風習なのに、いつのまにやら護摩まで炊きはじめるなんて……。世の中なにがどうなるか、ちょっと先は全くわからない。

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